なんだか鳴りもの入りみたいな登場で、
期待を一身に背負ってしまっているみたい・・・・・。
でもね、肝心の話したい内容は、ここでは披露するわけにはいかない。
なので、前段のみ。
Oくんは、小学校の頃から(いや、幼稚園時代からかな?)
昨日のHくん、幹事に参加してくれたIさん同様
頭脳明晰、スポーツ万能、学級委員長を務めるリーダーシップ
と、いわゆる「よくできた子」だった。
が、残念なことに私はOくんとは全くと言っていいほど接点が無く、
話したことすらなかった。
遠くから 「ああ、Oくんね」と、その存在を知っているくらいだった。
が、そのOくんが今回の同窓会で
私に話しかけてくれた。
(以前にもここで言ったことがあった)
「ブログ、毎回読んでいるよ。」
「この同窓会が成功したのも皆、船木さんのおかげだよ。」
まさか「あの」Oくんに話しかけられるとは!!
彼の人生の中で、私の存在など「無」に等しいものだったろうに。
今は、しっかりと「船木」という名前が彼の頭に刻まれている
という事実に愕然となった。
(いい意味でね)
そんな言葉をかけられた際の私は、顔では平気そうな表情だったが
心の中はびっくり!で、本当に焦った。
あんまりへんちょこりんなことを口走っても、と思い
「ほんと?ありがとう」
てな、返事をしたんだと思う。
こういう感情って、皆さんもわかってくれるだろうか?
例えば、芸能人が突然、目の前に現れて
私の名前を呼んでくれるような・・・・・・
(う~~~ん、あんまりいい例えじゃないなあ・・・・)
全く別世界の人だと思っていた人が突然目の前に現れたような・・・・
(こっちの例えの方があたっているか)
って言うと、きっと
「僕はそんなたいした人間じゃない。」と言うだろう。
そう。よくよく考えると、同じ同窓生で、そんなに特別視することもない。
声をかけられることも普通のことだし、なんてこともない。
今は確かに普通のおじさんで、おばさんだ。
だが、小学校時代、中学校時代は
彼らは遠くの存在だったのだ。
憧れとか、そういう感情ではなく、自分とは違う世界にいる人達。
そんな遠くの異星人のような人達と気軽に話ができる「今」に
驚くのだ。
私は小さい頃から人見知りで、なかなか人と打ち解けることが
できない子だった。
長じて、大人になり、社会に出て会社人になってからは
そんなことも言ってられず、
ずいぶんと図々しい、誰とも気軽に話しができるようになったけど。
だからよけいに、小中学校時代の他のクラスの人達とは
線を引いていたんだと思う。
今の自分なら、
幹事長という傘の元、
黄門様の印籠の如くに「幹事長」という名前をひけらかし、
そのいきおいで誘うことができる!
『幹事長』
ひとつくらいは、特権を使ってもいいかな、と思う。
幹事長をやったからこそ、できること。
そのひとつが今回の集まりなのだ。
もう既に気付いていると思うけど、
「Oくん」
織井くんだ。