校内放送の想い出
色々と想い出の話をここでも話しているのだが、
実は私のブログでも『懐かし話』というカテゴリーで
色々と昔の話を書いている。
中学校の話も書いている。
どっちで書こうか悩むこともあるが、(ここで書くか自分のブログで書くか)
なんとなく読んでくれる人が多いかな・・・・という理由で
自分の方のブログで書いてしまっている。
が、先日、中学校仲間のLINEでこのブログの話が出た。
ここで一気に読者が増えた感じ。
なので、今日は自分のブログから中学ネタをお引越し。
タイトルは
『想い出の音楽 の巻』
要するに、中学校で流れていた校内放送の想い出の話だ。
どんな校内放送が流れていたか、
もっと頑張って思い出せばまだ思い出せるような気がするが、
今のところ特に記憶に残っているのがこれらブログに書いた音楽だ。
画像は写真で残すことができるが、音というものはレコードやテープ、CDで
残すことは可能だが、なかなか手軽には残せない。
よって、記憶に残っているだけになる。
でも、もちろん映像や画像には必ず『音』は欠かせない要素になっている。
(音なしの世界は無いので)
必ずそこには何かの音があったはずである。
人の歓声であったり、鳥の声であったり、チャイムの音、校内放送の音・声、
吹奏楽の練習の音、合唱の声・・・・・・・
この朝の校内放送で流れていた
『栄光への脱出』は
かなり印象深い。
それと、『ビター・スイート・サンバ』も。
お昼の校内放送でこの曲が流れて、聞きながら給食を食べた。
深夜放送のラジオから流れてきたこのタイトル音楽を
校内放送で流すというのは、かなりのもめもめがあったことも
楽しい想い出。
皆さんの記憶に残る音・音楽って何ですか?
どんな校内放送があったか覚えている方
教えて下さいな。
転校生は胸キュン
同窓生が集まると、決まって出る話というものがある。
O君の話・・・・・・は別格として、
転校生 というのは特別な思い入れがそれぞれにあるようだ。
新学期や学期の始まりに、先生に連れられてやってくる。
皆、ざわざわとざわつき、
先生から紹介をされる。
転校生は、日常学校生活におけるカンフル剤、活性化作用。
特に話題になるのが7組のKさんと5組のNさん。
確かにアイドル並みに可愛らしかった。

他にも可愛らしい女の子はいっぱいいたけれど、
「転校生」と冠されると その輝きは格段に上がってしまう。
転校生は、とっても衝撃的な出来事だったから、記憶に強烈に残っている。
今でもその記憶は甘酸っぱく、胸キュンとなってしまう。
男子生徒の転校生もいたけれど、女子のそれとはまたちょっと違う。
5組のNくん。
大人びた風貌で、背も高く、カッコイイ。
バスケ部に入って即戦力。
聴いてる音楽も中坊が全く聴いた事の無い大人な外国のグループ。
クラスの男子たち、カバンにN君のマネをして、
マジックでその外国グループの名前を書いてたっけ。
私はなんだか恐れ多くて、話しかけるなんてこともできなかった。

今はどうしているのだろうか?
5組のNさんは連絡先もわかっているけれど、
7組のKさんは途中でやはり転校してしまって、以降の連絡先はわからない。
5組のNくんは高校もこちらの地元の学校へ行ったので、途中まではわかっていたのだけれど、
大人になってからがわからなくなってしまった。
今回の同窓会、来て下されば
男性の盛り上がり方は違うだろうな。
無理かな~?
オファーはしてます。
O君の話・・・・・・は別格として、
転校生 というのは特別な思い入れがそれぞれにあるようだ。
新学期や学期の始まりに、先生に連れられてやってくる。
皆、ざわざわとざわつき、
先生から紹介をされる。
転校生は、日常学校生活におけるカンフル剤、活性化作用。
特に話題になるのが7組のKさんと5組のNさん。
確かにアイドル並みに可愛らしかった。
他にも可愛らしい女の子はいっぱいいたけれど、
「転校生」と冠されると その輝きは格段に上がってしまう。
転校生は、とっても衝撃的な出来事だったから、記憶に強烈に残っている。
今でもその記憶は甘酸っぱく、胸キュンとなってしまう。
男子生徒の転校生もいたけれど、女子のそれとはまたちょっと違う。
5組のNくん。
大人びた風貌で、背も高く、カッコイイ。
バスケ部に入って即戦力。
聴いてる音楽も中坊が全く聴いた事の無い大人な外国のグループ。
クラスの男子たち、カバンにN君のマネをして、
マジックでその外国グループの名前を書いてたっけ。
私はなんだか恐れ多くて、話しかけるなんてこともできなかった。
今はどうしているのだろうか?
5組のNさんは連絡先もわかっているけれど、
7組のKさんは途中でやはり転校してしまって、以降の連絡先はわからない。
5組のNくんは高校もこちらの地元の学校へ行ったので、途中まではわかっていたのだけれど、
大人になってからがわからなくなってしまった。
今回の同窓会、来て下されば
男性の盛り上がり方は違うだろうな。
無理かな~?
オファーはしてます。
小学校の想い出話
私は伊那小学校出身。
伊那中学校には、伊那小学校と伊那西小学校出身者がいる。
伊那小学校は「くらしの手帳」で紹介され、全国的に有名になった。
何故かというと、各クラスっで動物を飼っている。
私達の頃は、各学年ごとに担当する動物がいたくらい。
4年生は うさぎ。
5年生は とんび。
6年生は ・・・・・・・なんだっけ?(忘れちゃった)
それよりももっと私は特別な小学校だったと思う。
その一つは通知表が無い。
よくできました、とか、もっとがんばりましょう的なものすらなかった。
学期末にはテストが返されたくらい。
もう一つはクラスの名前。
普通は1年1組とかなんだけれど、
私達の学年は
智仁勇学修博信。
他の学年は、
忠孝文明節操
剛毅正礼義恩雅
謹直敬順訓育英
山川森泉月星雲
春夏秋冬天道民
なんだか里見八犬伝のような。(仁義礼智忠信孝悌)
♪いざとなったら玉を出せ~ ちからのあふれる~ 不思議な玉を~♪
ところどころに宝塚も入っている?
組の名前を言えば、どの学年かもわかってしまう。
しかし、漢字で書けばなんとなく様になるが、
これを音読すると
「ちぐみ」(智組)
「がぐみ」(雅組)
「ぎぐみ」(義組)・・・・・・
となる。
何をいっているのか?という感じだ。
小学校二年生の時、クラス替えがあった。
生徒数が増えすぎて、1クラス増やさねばならなくなったのだ。
(最後の「信」が増えた)
私は修組から博組に変わった。
数名の元・修組メンバーと供に、新たな博組に移った。
なので、今でも同窓生と話すときは、
「1,2、年の時は何組だった?」
「そうか。3年の時から一緒だったんだ。」
となる。
こんな組の名前、日本でも相当珍しいと思う。
伊那小学校の想い出もまた色々と話したい。

小学校の国語の教科書
中学校のじゃなくて、小学校の国語の教科書の話。
昨日、ダンナと夕飯の時に出た話しなんだけれど、
小学何年生か忘れてしまったのだけれど、
国語の教科書に金田一京助さんの話が載っていたのを覚えてる?
この人、国文学者で言語学が専門。
辞書なんか編纂した人。
国語に載っていた話は
アイヌ語の調査に北海道へ行ったときの話。
金田一京助さんはアイヌ部落に住みつき、
アイヌ語を知ろうとしていたが、大人は相手にしてくれず
子供達と遊びながら言葉を解明していった
というだいたいのあらすじ。
最初はスケッチブックに絵を描き、
それの名前を子供達に教えてもらうということをしていたが、
だんだんもどかしくなり、
ある日 「そうだ。『これは何?』という言葉が話せればもっと教えてもらえる」
と気付く。
そこで京助さんがやったことはスケッチブックにぐるぐるとわけのわからないものを
描き出した。
子供達がやってきて、見るのだけれど何の絵だがわからない。
子供達は口ぐちに
「へまた」
と言った。
どうもこの「へまた」が「何」という言葉らしいことがわかる。
そこで京助さんは「へまた」と言いながらいろいろなものを指すと
子供達が「○○だよ」と教えてくれた。
そういう話が載っていた。
学校の頃、習ったことを今でも覚えている。
この「へまた」もそうだし、
じゃがいもを日本へ伝えた「ルーサー・バーバンク」の話も国語の教科書に載っていた。
中学の教科書に載っていたのは 宮沢賢治の「オッペルと象」
のんのんのん・・・・・
という音の表現が独特だった。
後、山椒魚の話もカエルと山椒魚はどちらが最後に勝ったと思う?という質問を先生からされ
クラスが二分する意見で割れた。
国語の教科書 恐るべし。
三つ子の魂 百までだ。
また想い出したら書きます。
卒業文集の話
皆さんもまだ持っているでしょうか。
「卒業文集」。
小学校の頃から、3学期終了の頃になるとクラス全員で作文や詩を書き、
ガリ版印刷やオフセット印刷された文集がクラスごとに手渡されました。
なので小学校分6冊、中学の時は卒業の時に1冊。
それと、小学校の時は修学旅行の想い出の作文が個人個人のものが
冊子にまとめられました。
そんな文集が私の実家に残っています。
中学の卒業文集。

クラスごとに作られた。
これは5組の文集。
表紙の絵については、これは立木勲くんのもの。
事前に何名か、我こそはと思う人達が「自分の絵を表紙に」、と立候補し
クラス全員の投票で決めた。
それに私は負けた。
最後に決戦投票があり、既に負けていた私は
この立木くんの絵の方が他の人の絵より良い、
と良い理由の意見を述べ、応援に回った。
実は立木くんとは小学校も同じクラスで
同じように卒業文集の表紙絵で争ったのであった。
勝負はやはり立木くんの勝利。
なので、小学校の卒業文集の表紙絵も立木くんの絵。

そんな想い出があるので、この2冊の卒業文集は
特別に想い出が大きいのかもしれない。
その後、私は美術の道に進むのであったが、
この時の経験がその下道を作った?かは、はたしてそうなのかどうなのか・・・。
実は、絵にまつわる想い出はもっといっぱいある。
それはまたの機会に・・・・。
いずれにしろ、今でも実家にはその頃のものがいっぱい残っている。
それらを開くと、小学生だった自分、中学生だった自分に
出会えるような気がする。
その頃の自分に声をかけたいことはいっぱいある。
「卒業文集」。
小学校の頃から、3学期終了の頃になるとクラス全員で作文や詩を書き、
ガリ版印刷やオフセット印刷された文集がクラスごとに手渡されました。
なので小学校分6冊、中学の時は卒業の時に1冊。
それと、小学校の時は修学旅行の想い出の作文が個人個人のものが
冊子にまとめられました。
そんな文集が私の実家に残っています。
中学の卒業文集。
クラスごとに作られた。
これは5組の文集。
表紙の絵については、これは立木勲くんのもの。
事前に何名か、我こそはと思う人達が「自分の絵を表紙に」、と立候補し
クラス全員の投票で決めた。
それに私は負けた。
最後に決戦投票があり、既に負けていた私は
この立木くんの絵の方が他の人の絵より良い、
と良い理由の意見を述べ、応援に回った。
実は立木くんとは小学校も同じクラスで
同じように卒業文集の表紙絵で争ったのであった。
勝負はやはり立木くんの勝利。
なので、小学校の卒業文集の表紙絵も立木くんの絵。
そんな想い出があるので、この2冊の卒業文集は
特別に想い出が大きいのかもしれない。
その後、私は美術の道に進むのであったが、
この時の経験がその下道を作った?かは、はたしてそうなのかどうなのか・・・。
実は、絵にまつわる想い出はもっといっぱいある。
それはまたの機会に・・・・。
いずれにしろ、今でも実家にはその頃のものがいっぱい残っている。
それらを開くと、小学生だった自分、中学生だった自分に
出会えるような気がする。
その頃の自分に声をかけたいことはいっぱいある。