野球部同窓会
土曜日8月4日にいつもの「しみずや」さんで
伊那中野球部の同窓会が開催されたよう。
先日、ここで紹介した6組・シモジマくんが一時帰国し、
その彼が野球部だったことから
この野球部同窓会が開催されたようだ。

左上から
中村きよっぺ、久保村くん、熊谷くん、マーチン
下の段
シモジマくん、石本くん、牧田くん、尾針くん。
こうして部活単位で同窓会をやるのもきっと楽しいね。
特に運動系の部活は、一緒に汗を流した仲間だから
絆も強いだろうし。
クラスという単位から離れ、少し違った「くくり」で集まってみるのも
新鮮な感じがするね。
今回の同窓会
クラスという枠を超え、学年全体で集まった。
同級会では会えない人たちとも会えることが出来た。
学年280余名もいると、話したことも無い人たちが当然いる。
でも、どこかでは見ていたはず。
小学校のときは同じクラスだった人、
保育園のときに同じ組だった人、
近所だった人、
だから中学時代は他のクラスでも
何らかの接点はある。
だから皆、知り合いだ。
自分では忘れていた接点を言われて、想い出したり
気付かされたり。
何十年ぶりかの驚きがあったりする。
同窓会の反省会
興奮の冷めやらぬあの日から既に3週間弱経ってしまいました。
皆様は日々日常の生活に戻られ、少しづつこの間の同窓会のことは
「過去」になってきているでしょうか?
私、幹事長は未だ同窓会の余韻に浸っております。
というのも、まだ7月28日に控えている
「反省会&慰労会」のために
幹事の出欠席をまとめたり、
画像をどうするか思案したり、
会計報告のまとめをしたり、
反省会の議事を作ったりしているので。
今月28日に開催する「反省会&慰労会」は
まさしく反省会です。
幹事の皆さんに集まっていただき、準備段階から当日までを振り返って
いただき、気付いたこと、反省すべきこと、良かったことをまとめ
次に同窓会や同級会をやる際に役立てていただく。
同窓会や同級会。
なんとなく幹事におまかせで、決まった日時に会場へ
行けばいい と思っているあなた。
実は、同窓会にもノウハウっつうもんがあるですよ。
大日程をたて、いつまでに何をやる。
それを誰が担当するか。
その細かい積み重ねで成り立っているんです。
まあ、その会ごとにやり方って千差万別とは思いますが
基本ベースは、「幹事のやる気と情熱」に
懸かってるんだと思います。
幹事長はまあ、各クラス幹事さんのとりまとめ役みたいなもんで、
皆さんから出た意見を集約して、次の方向を決めてゆく。
その司会役みたいなもんです。
学級委員長みたいなもんかな?
え、前置きは長くなりましたが
ここで皆さんへお願いがあります。
皆さんからも是非、反省・気付きを募集します。
同窓会 もっとこうすれば良かったんじゃない?
こうして欲しかった。
準備についても、こういうことがあったら良かった
とか、こういう方法を他ではやっているよ とか。
何でもいいです。
それを参考に次の同窓会はもっともっと良くなり、
もっと楽しくするためなんです。
このブログのコメントでもいいですし、
サイドバーにあるメールを送るからおくっていただいてもいいです。
こんなこと言うと・・・・なんて思わずに、
何でもいいので、ご意見を送って下さい。
同窓会の正解はないので、より良くするための改善提案と思って
送信ください。
その時にクラスは教えてくださいね。
名前は、匿名でかまいません。
でも、伊那中昭和48年度卒業生に限ります。
その他の方はご遠慮くださいね。
お待ちしてま~す!
伊那中クイズの正解は
同窓会の中で行われたアトラクション「伊那中クイズ」。
その中の問題で
「さて、一年間のうちにクラスマッチは何回行われたでしょうか?」
という問いの答えは
「年4回」
その中身は
陸上クラスマッチ、バレーボールクラスマッチ、水泳クラスマッチ、バスケットクラスマッチ
だった。
もう一つの問題に
「陸上クラスマッチ3年生の100メートル走で優勝したのは誰でしょうか?」
この答えは
尾針出題者は 「大庭くん」
と言ったが、私はその場で物言いを付けた。
間違ってます!
優勝者は5組の埋橋くんで、2位は同じく5組の三井くんでした!
この3年の時の100m走は伝説のいわくつきのものだった・・・・・
何故かというと、優勝した埋橋くんは郡の陸上大会に選手として
選抜されると思っていたら、陸上の顧問をしていた清水先生が
指名をしたのは大庭くんで、そのことを30数年間
埋橋くんはずっと「何故?」という疑問を持ち続け
7年前の同窓会でようやっと30数年間の疑問を
清水先生に問いかけたのだ。
清水先生の答えは
「大庭くんはクラスマッチの時は怪我をしてベストコンディションではなかった。
1回の負けで見たのではなく、大庭くんはそれまでずっと一緒に練習を
続けていて そうした継続の中で選らびました。」
それでようやく積年のもやもやが晴れたようで
それ以降、埋橋くんはこの話をしなくなった。
そんないわくつきの100m走だったから、
私は間違えるわけはない。
ちゃんと三井くんにも確認してみた。
そしたら 「あなたの記憶は正しいです」
と返ってきた。
この話は、同窓会三次会でも盛り上がった。
この話は、胸につかえていた疑問だったことを
先生に確認することができ、無事解決をみた。
が、その頃に傷付き、悩み、悶々と今でも心の傷を
抱えている人って他にもいるのではないでしょうか?
そのまま抱えたままにすることのほうが多いようなきもするけれど、
こうして解決することもままあったりする。
どちらがいいと一慨には言えないが
あの頃の悩みが数十年経ち、想い出になってくれたらいいなと思う。
そして、同級生達とこんなことがあったんだよ。と、
話せるようになれば素敵だね。

3年の修学旅行の5組の写真。
よく話に出てくる転校生・名古屋くんの姿も。
伊那ケーブルテレビ放映第2弾
伊那ケーブルテレビさんの取材した映像がもう一つ。
各組ごとで集まり、次回に向けてのシュプレヒコール(決意表明)。
祝宴の終わり頃の撮影だったので、呂律の回らない人も・・・・・。
いや、それもhご愛嬌。
伊那ケーブルテレビさんが取材されていたのは2時間ほど。
その全部を映すことはないけれど、重要な個所はほぼ放映されている。
こんなに取り上げて下さるなんて、
ホント地域密着なテレビなんですね。(感心します)
今回の放映は5組、7組、6組。
他のクラスも取材されたのだろうか。
良い記念になるね。
実は7年前のケーブルテレビで取材され、放映されたニュースも
録画があり、しみずやさんにそれがあり、
見せてもらった。
懐かしい場面。
いつか、今回のも皆で懐かしいと言いながら観るのかな。
赤色軍団参上
皆さんのお手元に届いた全員写真。
既にご覧になった方、これからの方 いらっしゃると思いますが
このブログでも公開しちゃいますね。
みごとな「赤色軍団」!
ちゃんとお言いつけ通りに皆さん、赤いものを身に着けてきて
くださったおかげ。
「還暦記念」と言わなくても、まあ、そのものです。

この写真の上に写っている横断幕。
以前にブログで紹介したけれど、いい写真がなくて
ちゃんと紹介できなかったけれど、
この全員写真を見ればよくわかる。
本当に素晴らしい横断幕ということがわかります。
手作りしてくれた小島くん奥様と文さんに感謝!!
還暦とは字そのものが言っているように
「こよみがかえる」
一回りした、ということです。
なので、もう一度赤ちゃんから始まるということで赤いものを着る。
もう一度 2度目の還暦は迎えれないと思うけれど、
もう一度成人式くらいまでは行きたいものです。
誰が一番長生きするかな?
柿木先生だったりして・・・・・・・・・
それは既にバケモノの域?
(いや、言いすぎでした。先生ゴメンナサイ)
同窓会を数値データで分析
私が企業でデザイン部署にいた頃、中長期デザイン戦略事務局という
仕事をやっていた。
そこでは、デザインを描くこともなく、毎日エクセルで調査の数値データの分析や
パワポでプレゼン資料を作ったり、議事録を作ったりしていた。
そんなこともあり、同窓会を数値データで分析をすることを思いついた。
まずは、今回の出席率。
招待状を発送した数は全部で268通。(先生含む)
そのうち、
出席数 88名
欠席数 89名
お返事無し 79名
その他(住所不明、死亡) 12名
グラフにするとこんな感じ。

読めるかな?
グラフはパーセンテージで表記してある。
ほぼ1/3づつ。
今回、1/3の人達が出席してくださったんですね!
あとの2/3の人達、欠席と表明してくださった方は
色々な理由で今回出席できなかったんだけれど、
お返事の無い方達。
ちょっと心配です。
もう、中学時代のことは想い出したくないのかな?
と勝手に考えてしまう・・・・・・。
でも、受け取ってはいるのだから、何かは感じてくれてはいるだろう。
(と思いたい・・・・・)
そして、今、住んでいる場所をデータ化してみた。
伊那市内 139名
長野県内 66名
長野県外 62名
割と伊那市内に住んでいる人が多いのに驚く。

一番遠いところは、
北は北海道の札幌市。
南だと九州の福岡県。
に住んでいらっしゃいます。
今回、参加者の中で一番遠い所からいらしてくださったのは
兵庫県でしょうか?
あと、三重県や、茨城県、大阪府からも来てくれました。
本当に頭が下がります。
伊那市内にこれだけ多くの方々がいらっしゃるのだから
スーパーでばったり会ったりもするんだろうな、と思う。
私は塩尻市なので、なかなかそういうことは無い。
それでも、以前は母がまだ伊那にいて、お正月は実家で過ごしていたので
お店でばったり出会ったりしたこともあった。
遠くにいらっしゃるのは
仕事の関係や
ご結婚されたりして
伊那を離れたのだと思う。
でも、ご実家がまだ伊那にあるうちは
伊那に帰ってくる機会もあるだろうけれど、
だんだんと疎遠になってきてしまうのだろうな、と思う。
心の風景は伊那。
小林和弘くんがハガキに書いてくれてあったけれど、
伊那中のあたりを散歩してみたいと思う。
もう校舎も変わってしまい、風景はだいぶ変わってしまっているけれど
それでも懐かしい風景がところどころに残っている。
仕事をやっていた。
そこでは、デザインを描くこともなく、毎日エクセルで調査の数値データの分析や
パワポでプレゼン資料を作ったり、議事録を作ったりしていた。
そんなこともあり、同窓会を数値データで分析をすることを思いついた。
まずは、今回の出席率。
招待状を発送した数は全部で268通。(先生含む)
そのうち、
出席数 88名
欠席数 89名
お返事無し 79名
その他(住所不明、死亡) 12名
グラフにするとこんな感じ。

読めるかな?
グラフはパーセンテージで表記してある。
ほぼ1/3づつ。
今回、1/3の人達が出席してくださったんですね!
あとの2/3の人達、欠席と表明してくださった方は
色々な理由で今回出席できなかったんだけれど、
お返事の無い方達。
ちょっと心配です。
もう、中学時代のことは想い出したくないのかな?
と勝手に考えてしまう・・・・・・。
でも、受け取ってはいるのだから、何かは感じてくれてはいるだろう。
(と思いたい・・・・・)
そして、今、住んでいる場所をデータ化してみた。
伊那市内 139名
長野県内 66名
長野県外 62名
割と伊那市内に住んでいる人が多いのに驚く。

一番遠いところは、
北は北海道の札幌市。
南だと九州の福岡県。
に住んでいらっしゃいます。
今回、参加者の中で一番遠い所からいらしてくださったのは
兵庫県でしょうか?
あと、三重県や、茨城県、大阪府からも来てくれました。
本当に頭が下がります。
伊那市内にこれだけ多くの方々がいらっしゃるのだから
スーパーでばったり会ったりもするんだろうな、と思う。
私は塩尻市なので、なかなかそういうことは無い。
それでも、以前は母がまだ伊那にいて、お正月は実家で過ごしていたので
お店でばったり出会ったりしたこともあった。
遠くにいらっしゃるのは
仕事の関係や
ご結婚されたりして
伊那を離れたのだと思う。
でも、ご実家がまだ伊那にあるうちは
伊那に帰ってくる機会もあるだろうけれど、
だんだんと疎遠になってきてしまうのだろうな、と思う。
心の風景は伊那。
小林和弘くんがハガキに書いてくれてあったけれど、
伊那中のあたりを散歩してみたいと思う。
もう校舎も変わってしまい、風景はだいぶ変わってしまっているけれど
それでも懐かしい風景がところどころに残っている。
記憶はもっと深く
全員写真が出来上がり、今、送るために
お一人お一人の住所と名前を手書きし、
コメントもちょっと書き添えている。
中学の時には同じクラスでないと、あまり接点は無い。
が、記憶を辿ると小学校で同じクラスだった
保育園で同じところに通っていた
と、記憶を辿るとどんどんと出てきた。
割と覚えているのが私が通っていた
中山保育園(伊那保育園)の記憶。
実は私は年長の年に名古屋から転校(転園?)してきたので
1年足らずの記憶なのだが、やけにリアルに覚えている。
山組、川組という二つの年長さんの組があり、私は川組だった。
近所に細井真由美さんがおり、真由美さんが川組だったので
同じ組にしてくれたのだ。
山組の男の子達があの頃のテレビドラマの
「ちびっこギャング」そのもののやんちゃ坊主達で
カッコよくて、憧れの眼差しで見ていた。
中山くん、大庭くん、サポ・・・・・・
「オオっ スっザンナ~ 泣くんじゃねえ~♪」
なんて、帰りの時に縦一列縦隊で歌いながら行進してった。
あの頃のまま、そいつらはやんちゃ坊主だったけれどね。
お昼寝用の布団を運んでくれた六波羅布団店のおじさん
(六波羅悦子さんのお父さんだったのかな?)
八百屋をやっていた雨宮くんのお父さん
三編みのリボンが可愛らしかった美恵さんと芳江さん
おっちの家へ遊びに行ったし
大槻自転車屋さんちにも遊びに行った
同じ伊那市内 小学校から中学へ上がり、
同じ顔ぶれがいつも一緒だった。
中には全く同じクラスにならず。接点も無く
お話もしたこともない人もいるけれど、
確かに私の記憶の中に存在している。
大切な記憶の1コマだ。

柿木先生は矍鑠(かくしゃく)として
今回の同窓会に参加くださった先生3名。
2組の宮沢先生、4組の茅野先生、6組の長沼先生
7名おられた先生方も既に3名の先生が鬼籍に入られている。
今回いらして下さったのは、
5組柿木先生
3組清水先生
7組高見先生
1組の中村新平先生は体調が優れずに欠席された。
あの頃は、先生方は大人だったので年齢差がだいぶあると
思っていたが、実際は私達とは十数歳しか違わなかったのだ。
清水先生、高見先生はまだ70歳代。
少しご病気なところもあるが、まだまだ長生きをしていただきたい。
その中で柿木先生は84歳。
自分達の父親、母親世代と同じ。
だが、矍鑠とされており、ボケてないし、
足元もふらつかない。
ご立派だ。
私は5組で、3年間担任をしていただいた。
5組には何かルールの違反をすると『罰』というものが下された。
ここでも何度か書いているが
グランド10周が一番ポピュラーな罰だった。
そんな罰の話も三次会で盛り上がった。
今なら、大問題になるであろう
手が出る 殴る
そんなのも日常茶飯事だったというクラスもあった。
女子にまでその「手」は下ったようだ。
柿木先生は、そうした「手」はあまり出なかったが、
数度それに見舞われた生徒もいた。
そのシーンは今でも目に焼き付いている・・・・・・。
突然想い出したけれど三次会での話題。
小学校の時、スケートしていて転んで記憶喪失になった山下先生。
あの後、学組は学級疎開をして、他のクラスに散り散りになり
3か月ほど山下先生は治療をしていた。
転んだスケートリンクはどこそこだったとか、
山下先生の住んでいた場所は学校の坂の途中だったとか
という想い出話しでも盛り上がった。
話を元に戻そう。
先生というのは、いつになっても先生だ。
教科を教えてもらうのはもちろんのこと、
人生のこと、生き方のこと、考え方まで教えてもらったような気がする。
「先生のその考え方 間違っている」と、
思うことですら、教えだったと思う。
柿木先生の口癖は
「大物になれんよ。」
だった。
同級生の中に一人、いつもそう言われていた子がいて
しまいには「俺は大物になれなくていい!」と
先生に反発していた。
私もどちらかというと そちら側の人間で、
いつも先生に反抗ばかりしていた。
『罰』なんていうやり方が大嫌いで、
そういうちからで人を抑えるという考え方が嫌だった。
だけれど、罰をくらうようなことをしていた自分がそもそもいけないんだけどね。
そこまで考えの足りない自己中な私は
生活記録帳に先生のやり方に反対 ということを書き、
それに対してまた怒られ、罰をくらった。
そうした鬱屈した毎日が何らかの影響をおよぼし、
今の私を形成したのではと思う。
その時の生活記録帳は全部実家にある。
成績表まである。
そこに先生のコメントが書かれているが
今読むと さもありなん的なことが書いてある。
先生方、いつまでもお元気でいてください。
そしてまた一緒に校歌を歌いましょう!


2組の宮沢先生、4組の茅野先生、6組の長沼先生
7名おられた先生方も既に3名の先生が鬼籍に入られている。
今回いらして下さったのは、
5組柿木先生
3組清水先生
7組高見先生
1組の中村新平先生は体調が優れずに欠席された。
あの頃は、先生方は大人だったので年齢差がだいぶあると
思っていたが、実際は私達とは十数歳しか違わなかったのだ。
清水先生、高見先生はまだ70歳代。
少しご病気なところもあるが、まだまだ長生きをしていただきたい。
その中で柿木先生は84歳。
自分達の父親、母親世代と同じ。
だが、矍鑠とされており、ボケてないし、
足元もふらつかない。
ご立派だ。
私は5組で、3年間担任をしていただいた。
5組には何かルールの違反をすると『罰』というものが下された。
ここでも何度か書いているが
グランド10周が一番ポピュラーな罰だった。
そんな罰の話も三次会で盛り上がった。
今なら、大問題になるであろう
手が出る 殴る
そんなのも日常茶飯事だったというクラスもあった。
女子にまでその「手」は下ったようだ。
柿木先生は、そうした「手」はあまり出なかったが、
数度それに見舞われた生徒もいた。
そのシーンは今でも目に焼き付いている・・・・・・。
突然想い出したけれど三次会での話題。
小学校の時、スケートしていて転んで記憶喪失になった山下先生。
あの後、学組は学級疎開をして、他のクラスに散り散りになり
3か月ほど山下先生は治療をしていた。
転んだスケートリンクはどこそこだったとか、
山下先生の住んでいた場所は学校の坂の途中だったとか
という想い出話しでも盛り上がった。
話を元に戻そう。
先生というのは、いつになっても先生だ。
教科を教えてもらうのはもちろんのこと、
人生のこと、生き方のこと、考え方まで教えてもらったような気がする。
「先生のその考え方 間違っている」と、
思うことですら、教えだったと思う。
柿木先生の口癖は
「大物になれんよ。」
だった。
同級生の中に一人、いつもそう言われていた子がいて
しまいには「俺は大物になれなくていい!」と
先生に反発していた。
私もどちらかというと そちら側の人間で、
いつも先生に反抗ばかりしていた。
『罰』なんていうやり方が大嫌いで、
そういうちからで人を抑えるという考え方が嫌だった。
だけれど、罰をくらうようなことをしていた自分がそもそもいけないんだけどね。
そこまで考えの足りない自己中な私は
生活記録帳に先生のやり方に反対 ということを書き、
それに対してまた怒られ、罰をくらった。
そうした鬱屈した毎日が何らかの影響をおよぼし、
今の私を形成したのではと思う。
その時の生活記録帳は全部実家にある。
成績表まである。
そこに先生のコメントが書かれているが
今読むと さもありなん的なことが書いてある。
先生方、いつまでもお元気でいてください。
そしてまた一緒に校歌を歌いましょう!

三次会でディープな話を
一次会の祝宴に続き、大多数の人が残ってくれ二次会。
それが終わったのが10時前くらい。
会場の片付けを終え、宿泊者は1室に集まり、三次会を開催した。
宿泊者は遠方から来てくれた人と幹事の一部
総勢20名。
皆で車座になり、ビールやチューハイ片手に話の花が咲きました。
尾針くんがやった「伊那中クイズ」の続編。
男子の技術課3年生で作ったものは?
答えは「菊」
何故、木工ではなく、菊なん?と思った。
菊を育てている間は他のものを作ってた?
3年生陸上大会100mの優勝者は?というクイズがあったが
やはりあの答えは 大庭くんではなく、5組の埋橋くんだったのだ。
大庭くんはその時、怪我をしていて万全ではなく、勝てなかったのだ。
そのことは本人からも聞いているので、確か。
バスケ部キャプテンだった織井くんもいたので、
男子バスケ、女子バスケの話しにもなった。
女子は北信越大会まで出たけれど、男子は強かったけれど、
女子よりは・・・・・とか。
野球部で一番センスの良かった人は とか、
サッカーで抜群のセンスの人は とか、
懐かしい名前がばんばん出てきて盛り上がった。
なんだか、学生時代の合宿ノリのようで楽しかった。
夜も更け、12時でおやすみ。
翌朝、皆で朝食を食べ、名残惜しかったけれどその場で解散。
昨日、全員写真が上がりました と書きましたが
今、皆さんに送るべく宛先を手書きで書いてます。
一人一人の名前を書きながら、顔を想い出しています。
幼稚園時代の想い出がある人
小学校時代の想い出がある人
中学時代の想い出がある人
そんな想いをちょっとだけメッセージに書いて同封しますね。
写真が届いたら、それもちょっとご覧くださいな。
(次へつづく)
赤いものコーディネート投票結果
昨日、全員で撮った写真が上がって来た。
4組の唐澤マーチンがわざわざ塩尻・広丘まで持ってきてくれた。
それを見て、
「わっ! 赤い!!」
と、驚いた。
皆さん赤い服を着てこられたので、全員が写真に写ると
赤が鮮やかに写っている。
この写真、これから宛先を書いて、順次送付しますので、
もう少しお待ちくださいね~。
ということで、今日はその『赤いものコーディネート』表彰の結果を
もう少し詳しくお知らせしますね。
優勝者はケーブルテレビにあるように
4組 唐澤昌宏くん(マーチン) (18票)
赤いつなぎと指にネイルをし、そこには
「伊那中同窓会」と白文字で書いてあった。
なんと、ネイル代7000円也!

実はマーチンはもう一つ赤いものがあったのだ。
ごく一部の人にしか披露はしていなかったが、
パンツ
赤いパンツに可愛いクマさんの絵が描いてあった。
って、なんで私が知っている?
いまだ目に焼き付いて離れません・・・・・・・
そして準優勝者は
司会で頑張ってくれた
3組 大野田清志くん (16票)

実はこの赤いジャケット、幹事会の際に尾針くんがネットで注文したもの。
幹事同志の後押しがあったのよ。
準優勝者二人目は
6組幹事 宮下耕一くん(ゴリ) (6票)

彼は会場を周って、みんなにマジックでつなぎにコメントを
書いてもらってたよね。
そういう地道な努力が実を結んだのです。
さて、賞には漏れましたが
得票された方々を紹介しますね。
次表は幹事長・5組 船木(5票)

マントは自前。これを活かそうと考え、「そうだハリポタだ!」
ということで、角帽を作り、魔法の杖はダンナに製作を頼んだ。
次は5組 埋橋保くん(4票)

2票獲得したのは
2組 雨宮くんと 5組担任 柿木先生

あと、1票づつを獲得した方々のご紹介。

7組幹事 羽場綾子さん
1組 伊藤洋子さん
2組 西村可奈野さん
伊藤さんにはコメントも書いてありました。
「イヤリングがさりげなくて素敵でした」

5組幹事 小松信一くん
6組 唐澤 敏くん
1組幹事 司会アシスタントで頑張ってくれた矢澤令子さん
1組 福澤博くん
1組 久保村満利くん
以上の方々が得票されました。
他の方々も皆さん頑張ってくださり、
とっても派手な、真っ赤な会になり
素敵な還暦のお祝いになりました。
しかし、イマイチ自分の中ではまだ「還暦」というものがピンときてなくて
60歳になる という自覚があまりありません。
(まあ、私は1月来年にならないと60にはならないけれど)
(そんなのも十把一からげですが)
中学卒業してから45年も経つんですね。
感慨深いです。
(次につづく)
4組の唐澤マーチンがわざわざ塩尻・広丘まで持ってきてくれた。
それを見て、
「わっ! 赤い!!」
と、驚いた。
皆さん赤い服を着てこられたので、全員が写真に写ると
赤が鮮やかに写っている。
この写真、これから宛先を書いて、順次送付しますので、
もう少しお待ちくださいね~。
ということで、今日はその『赤いものコーディネート』表彰の結果を
もう少し詳しくお知らせしますね。
優勝者はケーブルテレビにあるように
4組 唐澤昌宏くん(マーチン) (18票)
赤いつなぎと指にネイルをし、そこには
「伊那中同窓会」と白文字で書いてあった。
なんと、ネイル代7000円也!

実はマーチンはもう一つ赤いものがあったのだ。
ごく一部の人にしか披露はしていなかったが、
パンツ
赤いパンツに可愛いクマさんの絵が描いてあった。
って、なんで私が知っている?
いまだ目に焼き付いて離れません・・・・・・・
そして準優勝者は
司会で頑張ってくれた
3組 大野田清志くん (16票)

実はこの赤いジャケット、幹事会の際に尾針くんがネットで注文したもの。
幹事同志の後押しがあったのよ。
準優勝者二人目は
6組幹事 宮下耕一くん(ゴリ) (6票)

彼は会場を周って、みんなにマジックでつなぎにコメントを
書いてもらってたよね。
そういう地道な努力が実を結んだのです。
さて、賞には漏れましたが
得票された方々を紹介しますね。
次表は幹事長・5組 船木(5票)

マントは自前。これを活かそうと考え、「そうだハリポタだ!」
ということで、角帽を作り、魔法の杖はダンナに製作を頼んだ。
次は5組 埋橋保くん(4票)

2票獲得したのは
2組 雨宮くんと 5組担任 柿木先生

あと、1票づつを獲得した方々のご紹介。

7組幹事 羽場綾子さん
1組 伊藤洋子さん
2組 西村可奈野さん
伊藤さんにはコメントも書いてありました。
「イヤリングがさりげなくて素敵でした」

5組幹事 小松信一くん
6組 唐澤 敏くん
1組幹事 司会アシスタントで頑張ってくれた矢澤令子さん
1組 福澤博くん
1組 久保村満利くん
以上の方々が得票されました。
他の方々も皆さん頑張ってくださり、
とっても派手な、真っ赤な会になり
素敵な還暦のお祝いになりました。
しかし、イマイチ自分の中ではまだ「還暦」というものがピンときてなくて
60歳になる という自覚があまりありません。
(まあ、私は1月来年にならないと60にはならないけれど)
(そんなのも十把一からげですが)
中学卒業してから45年も経つんですね。
感慨深いです。
(次につづく)