2018年04月26日

人呼んで「しゃべくり仮面」

 小学校1,2年生の頃 私は修組だった。
そのクラスに「H野」さんという友達がいた。

先日、高校の同窓会幹事会で彼女と会った。
機会があり、話したのだが彼女は私のことはすっかり忘れており、
想い出してもらえなかった。

彼女H野さんは、お父さんが国鉄バスに勤められていて、
天竜町にあった国鉄官舎に住んでらした。
よくそこへ遊びに出掛けた。

H野さんは、いわゆる今で言う「わらかし」が好きで、
おちゃらけで、おしゃべりで、明るくて、おちゃめな子だった。

だけれど、いつもお母さんに「落ち着きが無い」と叱られていた。

今でも覚えているのは、その頃テレビアニメで放映されていた
「遊星仮面」という番組で
「だれだ!」と叫ぶと
「ひとよんで 遊星仮面」
というフレーズが 流行っていた。



H野さんは、「ひとよんで 遊星仮面」というフレーズを

「ひとよんで しゃべくり仮面」
と変えて、背にはマントを羽織り、(ふろしきだった)
めがねをかけて
そんな様相で表れ、遊んだ。

それを彼女に話したかったのだが、私自身のことすら忘れているくらいだから、
そんなことは欠片も覚えていないだろう、と話すのをやめた。

H野さんはその後、転校していった。
高校で違う中学から入学してきた時は、また再会した、と思ったが
高校時代はクラスも違ったので、特段話しもしなかった。

あれから42年ほど経って、「しゃべくり仮面が・・・・」と言われても
何のことやらと思うのは当然だろう。

しかし、59歳の彼女を見ても
面白いものが好きで、明るくて、おちゃらけで、
という性格は変わってないように思う。

きっと、どの同級生に会っても、
あの頃とそうは変わってないように思う。
小学校や中学校の時の性格はそのまま大人になっても
変わってない。
人の本質はそう変わらないもの。


昔、中央病院があったバイパス沿いの対面に
国鉄官舎があったが、
今はもう壊され、全く違う風景が広がっている。

こうして景色は変わってしまったけれど、
人の記憶、人の本質は変わっていない・・・・・・・・・。



2018年04月20日

5月にもうひとつ大仕事

 実は、6月の伊那中同窓会の前にもうひとつ大仕事がある。

ちょうど1ヶ月前の5月26日に高校の同窓会があるのだ。
私が行っていたのは、伊那弥生ヶ丘高校。

男子生徒が私達が卒業した年から入ったので、
私達は最後の女の園の住人だったわけ。

弥生の同窓会のきまりで、当番学年というのが決まっていて
その年60歳になる学年と50歳になる学年が当番学年となり、
同窓会懇親会を仕切るのだ。

要するに、同窓会なんて言っても出てこないから、
区切りのいい年齢の人たちを集めるために
当番として、幹事をやらせれば 皆さん集まるでしょ、という
たくらみのようだ。

なので、私は月に1度必ずこの高校同窓会幹事会にも参加している。

黙って静かに聞いているということができない性格の私、
結局 懇親会パンフレット作成係と
学年会幹事 という2役することになった。

学年会というのは、懇親会後に自分達の学年だけ集まって
場所を変え、宴会をするのだ。

そのために今、最後の準備の追い込みで忙しい。

まず懇親会パンフレットの作成。
なんとか予算を勝ち取り、(今まではコピー2枚のパンフレットだった)
少し体裁のよいものにした。
先日の幹事会にラフ案を提示し、了承を得たので、
これから最終原稿を作成し、印刷に回す。

それと、学年会の方は幹事が会場を探し、
招待状を作って招待し、
宴会の内容も全部決めねばならない。

今は、宴会会場で流すスライドショー作成をしている。


中学の同窓会の仕事はその間、少しできない。
でも、ほぼ参加人数の把握はできたし、
会場との打ち合わせもできたし、
後は当日のタイムスケジュールを幹事の皆さんと打ち合わせれば
よいはず。

次回の幹事会は5月12日。
実は翌日13日に高校の幹事会がある。
連チャンになる。

仕方ないので、土曜日に泊まって日曜日に高校の同窓会幹事会に
出席するしかない。
ああ~もう、お店は土日お休みばかりだ・・・・・・。

仕方ないね。
6月の同窓会が終わるまでは、落ち着かないし
忙しいし、お店をやっている場合じゃない。

そういえば、中学同窓会出欠確認のハガキ
まだ全部は回収できていない。

出してくれない人がまだ多数いる。
忘れているのかな・・・・?
悩んでるのかな・・・・・・?

追加する分には問題ないので、是非 ハガキを出してない人
出して下さいな。
是非、参加 に丸付けて。

夜露死苦!!(V)




Posted by みなと at 10:19 Comments( 0 ) 幹事のつぶやき

2018年04月16日

会場は「大芝荘」


 昨日、別件で伊那へ行く用事があり、
そのついでに会場である南箕輪村の「大芝荘」へ行ってきた。

目的は、人数のお知らせと会場の見学。

今回、参加人数は84名(4/16現在)。
宿泊者数は20名。

会場の担当の方と打ち合わせをした。

会場になる宴会場は100名以上収容できる大会場。
テーブルに椅子式。
舞台もある。



そして宿泊の部屋も7部屋おさえた。



温泉もある。


(おねえさんは付いてこないです)

二次会もこの大芝荘で開催する予定。
飲み物、つまみは自分達で調達する。
(特に終了時間設定はないよう。夜通し飲んでいても可?)

こうやって会場の打ち合わせ・見学をすると いよいよという感じがします。
あと2ヶ月です。
ばたばたしているうちにすぐにやってきそうです。
(途中で高校の同窓会もあるし・・・・・・)

さあ、皆さんも心の準備 よろしくです。
もちろん「ドレス・コード」の準備もよろしくです!

皆さん、どんな『赤いもの』にしますか?
幹事長の私も色々と考えています。

前回は岡谷東高校のセーラー服でしたが、今回は「赤いもの」を身につける
なので、この作戦はもうできません。
新たな作戦を立てねばです。
もちろん、優勝を狙っています。
(当日、皆さんの投票で優勝者を決めます)

インパクトがあって、楽しくて、派手な「赤」・・・・・・

皆さんも優勝、狙ってください!




Posted by みなと at 11:23 Comments( 0 ) 幹事会

2018年04月13日

4/10は過ぎたれど


 2018同窓会の出欠ハガキの締め切りが4月10日でした。

それでもまだ毎日、うちのポストにはぽろぽろとハガキが届きます。
あ、そうだった、締め切りだ!と慌てて返信した人
締め切りなんてあったんだ、とメールを入れてくれる人
様々です。

まだ返信していない方
まだ大丈夫です。
これからでも遅くないです。
返信ハガキ送ってください。

せっかくのハガキ 62円もするんですもの。
何もせずに捨てちゃうのはもったいなさすぎ。
見たよ、と証に送ってくださいな。

60歳になる今年
でもまだお誕生日が来てない人が多いから59歳。
皆さんまだ働いていらっしゃる。
忙しいから、仕事でどうしても、と欠席の人が多いのにびっくり。
それと、介護しているからという方も。

ちょっとだけ来年開催だった方が良かったかな?と思ったりする。

でもでも、もうやる!と決めたのだから、やる!

来年はやらない。
再来年もやらない。
その次もやらない。
たぶん、その次もその次もやらない。
当分やらない。
もうやらないかも。

今年やる。

だから、みんな来て。

ハガキ 待ってる。




Posted by みなと at 10:28 Comments( 0 ) 幹事のつぶやき

2018年04月10日

とびうおの歌

 中学時代のクラブ活動。
私は、「合唱クラブ」。

担任の先生は音楽の先生で、吹奏楽クラブの顧問だった。
なので、入学したての頃、先生から
「吹奏楽クラブに入れば。パートはクラリネットかな。」と
誘われたことがあった。

反抗期の私は、素直じゃない私は
どーして先生の言いなりにならなくちゃいけないのよ・・・・
と、可愛くない発想で、合唱にした。

運動系のクラブも魅力的だったのだが、私の好きなバドミントン
は中学には無かったので、諦めた。

合唱クラブもなかなかハードな活動をしていた。
年間の一番大きな目標は『NHK合唱コンクール』への出場。
上伊那地区、南信地区、県大会とあり
最終的には全国大会を目指していたが
ほぼ上伊那地区予選で敗退していた。

NHKコンクールには、毎年課題曲とそれぞれの学校で選べる
自由曲というのがあり、
伊那中学校合唱クラブは毎年「とびうおの歌」を選曲していた。

顧問は女性の佐藤先生と言って、髪をポニーテールにした
怒るとちょっと怖い先生だった。

一年目の課題曲は「山の祭」
You tubeで探してみたらあった!
(便利な世の中ね~)



二年目の課題曲は「かたつむりのうた」



三年目 「遊園地の汽車」


覚えている歌もあり、忘れていたけれどこれを聴いて思い出したものもあり
でも全てが懐かしい。

ありましたよ!まさかの「とびうおの歌」も!


私が一年生の時、文化祭での合唱クラブの出し物は
単なる合唱ではなく、オペラをやった。
「かぐや姫」だった。

3年生が主に役付きで。私たち下級生は後ろでコーラス隊をしていた。
でも、ちゃんと衣装を付け、台詞もあり、楽しかった。
先輩の有賀さんがかぐや姫役で、
うちき食堂の息子さん内木先輩はおじいさん役だったかな?

1年生の時の先輩(3年生)というのは、ものすごい大人に感じて
例に漏れず私も3年生の先輩に憧れました。
(ピアノ教室の息子さんのT先輩・・・・)

合唱コンクールは夏休み明けだったので、夏休み中も練習があり
登校をしていた。

隣の音楽室では、同じように吹奏楽部も練習をしていた。
皆、夏の終わりにコンクールがあったり、試合があったりで
夏休み返上で練習に学校へ来ていた。



今回の同窓会。
クラスごとにテーブル席を設けるのだが、
こうしたクラブ活動の仲間と集まる というのも
やってみたいと幹事から声が上がっている。

バレーボール部、バスケ部、吹奏楽部、サッカー部、野球部、柔道部、剣道部・・・・・・

いろんな部活動ごとに集まるのも楽しい。

合唱や吹奏楽やギタマンは同窓会で演奏、合唱できたらと思うけれど
即興じゃできないし・・・・・
皆、もう楽器も持っていないかもだし。

せめて合唱クラブメンバーで集まって、「とびうおの歌」歌えないかな・・・・・・?




Posted by みなと at 10:04 Comments( 0 ) 懐かし話

2018年04月09日

小学校時代の話

 中学校の同窓会ブログなんだけれど、時々小学校の話も紛れる。

伊那中学校は、伊那小学校と伊那西小学校の生徒が通った。
伊那小学校は『友がき2000おこたらず』と校歌にあるように、
2000人も生徒数がいたマンモス小学校だったから、
伊那中学校もその人たちの持ち上がりで、伊那小卒業生が大半を占めていた。

だから、伊那小の話も同窓会メンバーでよく語られる。

(その点はいつも西小卒業生の皆さんには申し訳ないと思ってます)

昨日、私の地域の皆さんとの飲み会での会話で、
学校時代の話になった。
私以外の皆さんは私より年上。
でも、だいたい同じような想い出。

まずは冬のだるまストーブの話。
石炭入れというバケツがあり、石炭場に行き、スコップでバケツに石炭を入れ、
教室まで運んだのだが、年代により石炭fではなくコークスだった という話もあり、
(コークスの方が新しい?)
私たちの頃は石炭だったなあ・・・・・・・・。

火を点ける時は、「たきつけ当番」というのがあり、
近所の林から薪を拾い、中に新聞や広告やおが屑を詰め、
持って行き、火を点けた。

煙突にススが貯まり、先生が火掻き棒で煙突を叩き、
詰まったススを落とすんだけれど、それでも詰まり、
教室中が煙だらけになって、授業は中止なんてことも。

下に正方形の敷台があり、ストーブの上には蒸発桶に水が入れられ、
ストーブの近くには水がいっぱい入ったバケツが置かれていた。

ストーブの近くの人は、顔が焼けるようになり、
一番遠い窓際の人たちは、窓の隙間から雪が降ってきて
凍えるような寒さの中、授業を受けていた。
(木枠のガラス窓だったからね)


それと、学校には「校用技士」さん 「校士」さんと呼ばれる人がおり、
大きな釜でぐらぐらとお湯を沸かしてくれて、
掃除の時間になるとバケツを持って、そこへ行き
お湯をバケツの赤い線のところまで入れてもらい
水を足して雑巾掛けをした。

冬場は掃除時間の後のほうになると、お湯が冷め、ほとんど水。
雑巾掛けをすると、凍って、滑って先へ進めなかった。



学校のトイレ。
水洗トイレにお目にかかれたのは私が大学に行ってから。
小中高と全部 ぽっとんトイレだった・・・・・・・・・。

小学校は古い木造校舎。
トイレももちろん古~~~~い。
普通、トイレの便器というのは白い。
が、小学校のトイレは違った。
まるで骨董屋で扱っているような陶器製の模様の入ったものだった。


なんだか、お城の殿になった気分?
いや、このトイレ、本当に怖かった。
暗いし、ぽっとんの穴が筒状ではなく、1列全部貫いて開いていたのだ。
落ちたらどうなる?と想像しただけで恐ろしくなった・・・・・
(いや、想像したくない・・・・・!!)

このトイレももちろん素手で雑巾掛けをした。
ブラシなんてものも使わず、素手で拭いた。
それはそれは、トイレの神様に相当褒められたことだろう。


小学校の話、校舎の話、まだまだモリモリだくさんにある。
それは追々また話してゆこうと思う。



この画像は伊那小学校の鉄筋校舎。3,4年生が入っていた。
(この画像はこのブログからお借りしました。)
「東日本 近代建築万華鏡」




Posted by みなと at 10:38 Comments( 0 ) 懐かし話

2018年04月05日

伊那の風景

 同窓会の幹事会で、高校の同窓会の幹事会で
ほぼ毎月 伊那に通っている。

時々、車でサーーーッと通り抜けるだけでなく
歩いて懐かしがりながら伊那北駅から通町を抜け、西町近くまで行ってみる。

今の伊那北駅。

新しく駅舎も建て替えられ、昔の面影は残っていない。
今は完全無人駅になってしまっている。

ただ、下りホームへの行き来は未だに線路を渡る方式は
今も変わっていない。

通町入り口。

小沢川側から見た。
昔は入り口に「通町銀座」というアーケードがあった。
お店も昔からのお店がそのままのところもあるし、
変わってしまったり、閉店となりシャッターが下りたままのところもある。

昔、小さい頃、マルトシスーパーが通町入り口にあり、その隣に玩具屋さんがあった。
そこでお医者さんごっごセットを買ってもらった。
玩具屋さんの隣は床屋さんだった?
その隣が紙庄さんで、その隣がかぐやさん?

小林書店は今もちゃんとあった。
食堂のやませんもあるようだ。(門はあるのかな~?)
シマダヤさんは、もうホテルになってしまっている。

そして、いつも同窓会をやる「しみずや」さんの対面にある
「月日夜」さん。

ついこの間まで営業再開していたそうだが、
とうとう閉店してしまったようだ。
(以前に一度閉店して、再開を望む声があり、再開したけれどやはり閉店したそう)

弥生が丘に通う高校生達がここで朝、パンを買っていた。
そういえば、昨日のブログで出てきたM君を呼び出した喫茶店。
月日夜の隣にあった「Ben」という喫茶店だった。
もちろん今はもう無い。

旧国道を歩いてみると、ああ、ここは同窓生の誰それちゃんの家があった、
と懐かしい。
でも、ほとんどが住んでいなかったり、他のお店に変わってしまっていたりする。

小学校の頃の同級生のおうちのお店が旧国道沿いにはいっぱいあった。
雨宮くんちの八百屋さん
中野屋ステンレスさん
城倉履物店
大槻自転車
旭医院
かぐやさん
伊原さん

よくよく考えると、私は人のうちに遊びに行くのが本当に好きだったようだ。
だいたい、お友達の家で遊んでいる記憶ばかりだ。
小学生低学年だったのに遠出もしていた。
御園の双葉町から西町・伊那部あたりまで出掛けていた。

この記憶もいつかは霧の彼方へかき消されていってしまうのだろうか。
そうならないうちに、共通の記憶を持つ人たちと
想い出話をしたい・・・・・・・・・。

(もう、物忘れがひどくて・・・・・・・)




Posted by みなと at 09:53 Comments( 0 ) 幹事のつぶやき

2018年04月04日

小さな恋のメロディー



 幹事長の恥ずかしい中学時代の話・・・・・・・・。

中学生時代に、誰かとおつきあいしたことのある人はどれくらい
いるのだろうか?
あの時代、おおっぴらにはお付き合いはできなかったし、
皆 していなかった。

中学2年の終わりから3年生の夏ごろまで
私は同じクラスのM君とおつきあいをしていた。

席がM君が前で私がその後ろだったこともあり、
そんな関係で親しくなっていった。

それと、2年生の3月にあった京都・奈良への修学旅行の係に
一緒になったことも大きかった。

最初は手紙のやりとり。
ノートの切れ端にちょこっと文章が書かれ、
それがクリップで留められ、
机の中に投げ込まれていた。

実はその手紙 全てまだとってある。

読み返すと、なんだか恥ずかしくなるような文言が並ぶ・・・・・・・

デートなんてものは中学生だから、できない。
一緒にボーリングへ行った。
雨の中、バイパスの歩道を前後に歩いて行った。(並んで歩くのは恥ずかしかった)

中学生だけでのボーリング場への出入りは禁止されていたように思う。
そんな校則破りのスリルも味わった。

あとは、私の家にM君とN君とで遊びに来てくれたくらい。
学校の外で会ったのはそれぐらいだった。

クラスの中で、同じようにおつきあいをしていた人たちも何人かはいた。
時は中学3年生。
受験を控え、だんだんとピリピリしてきて、
とうとう担任の先生から
「この時期に浮かれていると・・・・・・」とチクリと釘をさせれてしまった。

そんな雰囲気の中、ちょっとずつM君との仲もぎくしゃくしてきて、
結局はお別れすることになってしまった。

しかし、未練たっぷりだった私は、ずっとM君のことが
忘れられずにいた。
卒業式の日も、本当は最後にお話をしたかったのだが、
結局は何も話せずに帰ってきてしまった。

M君は伊那北へ。
私は弥生へ。
高校は別々。

時々、登校の際に道ですれ違ったが、挨拶をするわけでもなし。
ある日高校3年の頃だったかな、
意を決して喫茶店へM君を呼び出した。

そこで私は今までの思いを語った。

M君の反応は
「今は興味が無い。クラブや友人(男子)といるほうが楽しい。」
と、ツレない答え・・・・・・・。
あえなく撃沈。

もう失った時は取り戻せないんだ、と17歳の私は人生の切なさを知ったのだ。
中学生のあの時のキラキラした時は戻ってこないんだ。


今でも、中学時代のキラキラした時間は褪せることなく輝いているけれど、
キラキラの破片は私の心に突き刺さったまま。

そんな気持ちを前回のパンフレットに込めてみた。



他にもきっと中学時代にキラキラの想い出を持った人がいて、
今もその想いを抱えている人がいるんじゃないか、
その想いをちょっとぶつけてみようよ、
という想いがあって こんなパンフレットにしてみた。

さて、今回の同窓会はどうなる?




Posted by みなと at 11:04 Comments( 0 ) 幹事のつぶやき