2019年02月04日
昭和34年にあったこと
先月お誕生日を迎えたことをお伝えしたが、
私が生まれた昭和34年。
この年に何が起きたのか?
その前に
私の父親は外国航路の船員をしており、その関係で
海のそばの方が会いやすい ということで、母は長野県から
名古屋に居を移して住んでいた。
そこで私が生まれた。
昭和34年の1月に生まれ、その年の9月に伊勢湾台風が襲来した。
伊勢湾名づけられたように、名古屋は大被害を受けた。
母が住んでいたのは、名古屋市港区。
まさに海の近く。
そこの2階建てアパートに住んでいた。
ここからは母から聞いた話。
夜になり、雨風が激しくなり、窓ガラスは枠ごとはずれ吹き飛び、
雨は叩きつけるように部屋の中に吹き付けた。
2階建てアパートの2階に母と生後8ヶ月の私。
雨は夜半になっても止まず、激しさを増してゆく。
アパートの1階は天井まで浸水。
1階の住民も全て2階に避難してきた。
2階の入り口まで水が来たそうだ。
朝になり、ようやく雨は上がったが、水は引かず
見動きのとれない状態。
ミルクも与えられない状態で私は泣き叫んでいる。
そこへ、1艘の手漕ぎボートが来た。
母を心配した近くの牛乳屋さんのおじさんが様子を見に来てくれたのだ。
それも、牛乳を持って。
ようやく助かった母と私。
伊勢湾台風被害に遭い、その対策として建てられた県営住宅に移り住んだ。
それは小牧にあった。
そこで私は小学校上がる前まで過ごした。
こう聞くと、よくもまあ乳飲み子を抱えた母一人
伊勢湾台風の中、生き延びることができたもんだと思う。
しかし、今度は父親は昭和56年9月。
奄美大島沖にて乗務していた貨物船が台風に遭い、
甲板を巡回していた時に大波が船を襲い、
甲板に叩きつけられ、亡くなってしまった。
波乱万丈過ぎる一家だわ。
今は天下泰平。
いろいろな人の助けにより、60年生きてきました~。