同窓会幹事長のカミングアウト
よく質問されることがある。
「何故、中学の同窓会をやろうと思ったの?」
その答えは同窓会でもお話させていただいた。
(が、酔っ払ってたし、話がうまくなく、あんまり伝わらなかったかなあ・・・・)
要約すると、
もしタイムマシンで戻れるとしたら中学時代に戻りたいと思うくらい
大事な3年間だったから。
そんな大事な時を共有した皆と会いたかったから。
話したことはなくても、記憶の片隅には同じ学年の人達全員が
存在していて、大事な記憶はその全員で作り上げていたから。
最初に「同窓会をやりたい!」と思ったとき、
どうやったらできるか雲をつかむような 何もわからない状態だった。
ようやく各クラスの幹事の人達に声をかけ、
集まってもらうことが出来、
なんとなく目鼻がたち、第1回目の幹事会を開催した。
とはいえ、同窓会のノウハウは誰も知らなかった。
本当にできるのか?
幹事の全員が真っ暗なトンネルを歩いているような感じだった。
私は、「絶対に実現するゾ」という半ば執念のような気持ちで
幹事の皆さんを引っ張っていた。
私が不安になったら、皆も不安になってしまう。
とにかく私が「やる!」「できる!」と信じて
その気持ちを幹事の皆さんに信じてもらうしかなかった。
その気持ちは誰よりも強かったように思う。
もう一つ、実現できた理由。
それは私が「デザイナー」という仕事をしていたから。
と、聞くと「何の関係があるの?」と思うだろう。
デザインって、絵を描いたり、モノの形状を作ったりすることでしょ?
そう思うのが普通。
私がやってきたデザインの仕事。
そうしたこともやってきた。
それと同時に、
「人を心地よくする」
「使いやすくする」とはどういうことか?ということを考え続けてきた。
美しい形状だけでなく、デザインとはそうしたことのほうが重視されている。
私は、こうしたデザインの考え方を同窓会に活かせると思った。
『懐かしい』という気持ちを皆に呼び起こし、
『会いたい』という気持ちになってもらう。
そして、いかに参加した人達が満足してもらえるか?
私が具体的にやったこととは。
まず、同窓会の招待状&参加確認ハガキ。
普通は、いついつに どこそこで 同窓会を開催します。
参加しますか?しませんか?
というお知らせが届きます。
私はそれをリーフレット形式にし、
スローガンを作り、
とにかく情報をてんこ盛りにし、
「行きたい」という気持ちを皆さんに醸成しようと仕掛けたのだった。
懐かしさの演出だ。
当日、参加してくれた人にはパンフレットを作成し、
懐かしい中学時代の写真を載せた。
懐かしさのこれでもか!の上乗せ演出だ。
そして、スライドショー。
これらの演出・プロデュースはデザインという仕事をしていたからこそ
できたと思っている。
これと同じことをやらせてもらったのが
弥生が丘高校の同窓会。
その一部始終をやはりブログに書いている。
「デザインのちから の巻」
興味がある方は覗いてみてくださいな。
生意気なような、鼻持ちならない自慢のような気がして
あまり言わないようにしていたけれど、
そんな裏もあったのよ、ともう済んだ今だからもう話してもいいかなと、
言っちゃいました~!
でもね、あくまでも「演出」でしかない。
各クラスの幹事さん達の頑張りや
皆さんの「行きたい」「会いたい」の気持ちあってこそと思っている。
次の同窓会は幹事長が交代する。
また次は全く違った色の同窓会になると思う。
皆さんもそんな違いを楽しみにしていて下さいね。
三つ子の魂 百まで
私が「伊那保育園」出身ということはここでも何度か書いている。
先日の6組同級会でも伊那保育園出身者が何名かいた。
小川くんと中村くんだ。
その時の印象に残っているエピソードがある。
年長さんは2組に別れていた。
「川組」と「山組」
私は「川組」に所属していた。
山組の方には、保育園の息子だった中山くんや、中村くん、小川くん、湯田くん、
大庭くん、白石さん達がいた。
どちらかと言うと川組よりも山組の方が元気が良かった。
お昼寝が終わり、さあ帰りの時間という時に
教室から退出する際に山組の男子4名くらいが
一列渋滞になり、歩きながら
「オ~、スッザンッナ、泣くんじゃね~!!」
と歌いながら腕を振り上げ、行進してゆく姿を覚えている。
その中にいたのが中村くん(サポ)であった。
私はサポとはサポが新町、私が双葉町という非常に近い場所に
住んでいたので小学校時代もクラスは違ったが
よく見知っていた。
保育園時代の徒党を組んでのし歩いていたサポの印象が強く、
どうしても私の中のサポ像は
「近寄りがたい怖い人」 という感じだった。
中学時代は花形バスケ部だったので、よけいに近寄りがたさは
強まっていったと思う。
それがこの会で一気に距離が縮まった。
そして、私の「サポイメージ」は大きく旋回した。
なんとなく近寄りがたかったイメージだったのが
『なんて【人たらし】な奴なんだ!』
人たらしと言うと、女たらしと表現されるように
あまりいい意味には使われない。
人をだましたりという意味に使われているが、
私はこと「人たらし」という言い方をする時は
褒め言葉に使っている。
例えば、豊臣秀吉。
彼がその「人たらし」であったと言われている。
人心掌握するのがとってもうまい人
のことをそう称したりする。
私はサポがこの「人たらし」だ、と感じた。
まず、人の心を逸らさない話術・話題。
人を傷付けない心配り。
自分のことをさらけ出し、相手の心を開かせる。
そんなことがサラッとできる人 と思った。
オ~、スザンナがよくぞここまで・・・・・と感心した。
同窓会
今まで自分が思っていたイメージと全く違う別の顔が見れる
楽しさ・驚きがある。


まんまの顔してるね。
やんちゃで、いたずら好きで、きかん坊だったんだろう。
他の子達も変わらん!
この頃からもう55年も経っているのにね。
先日の6組同級会でも伊那保育園出身者が何名かいた。
小川くんと中村くんだ。
その時の印象に残っているエピソードがある。
年長さんは2組に別れていた。
「川組」と「山組」
私は「川組」に所属していた。
山組の方には、保育園の息子だった中山くんや、中村くん、小川くん、湯田くん、
大庭くん、白石さん達がいた。
どちらかと言うと川組よりも山組の方が元気が良かった。
お昼寝が終わり、さあ帰りの時間という時に
教室から退出する際に山組の男子4名くらいが
一列渋滞になり、歩きながら
「オ~、スッザンッナ、泣くんじゃね~!!」
と歌いながら腕を振り上げ、行進してゆく姿を覚えている。
その中にいたのが中村くん(サポ)であった。
私はサポとはサポが新町、私が双葉町という非常に近い場所に
住んでいたので小学校時代もクラスは違ったが
よく見知っていた。
保育園時代の徒党を組んでのし歩いていたサポの印象が強く、
どうしても私の中のサポ像は
「近寄りがたい怖い人」 という感じだった。
中学時代は花形バスケ部だったので、よけいに近寄りがたさは
強まっていったと思う。
それがこの会で一気に距離が縮まった。
そして、私の「サポイメージ」は大きく旋回した。
なんとなく近寄りがたかったイメージだったのが
『なんて【人たらし】な奴なんだ!』
人たらしと言うと、女たらしと表現されるように
あまりいい意味には使われない。
人をだましたりという意味に使われているが、
私はこと「人たらし」という言い方をする時は
褒め言葉に使っている。
例えば、豊臣秀吉。
彼がその「人たらし」であったと言われている。
人心掌握するのがとってもうまい人
のことをそう称したりする。
私はサポがこの「人たらし」だ、と感じた。
まず、人の心を逸らさない話術・話題。
人を傷付けない心配り。
自分のことをさらけ出し、相手の心を開かせる。
そんなことがサラッとできる人 と思った。
オ~、スザンナがよくぞここまで・・・・・と感心した。
同窓会
今まで自分が思っていたイメージと全く違う別の顔が見れる
楽しさ・驚きがある。


まんまの顔してるね。
やんちゃで、いたずら好きで、きかん坊だったんだろう。
他の子達も変わらん!
この頃からもう55年も経っているのにね。
昨夜は6組同級会だった
昨夜、しみずやに集まった面々。
総勢7名。
左から 小川くん、織井くん、中村くん、牧田くん、小池くん、唐澤くん
そして私。
(特別参加で田畑Nくんも)

全員6組の同級生。
牧田くんが召集してくれたのが唐澤くんと小川くん。
元々は、私が織井くんと話がしたかったから始まったこの会。
織井くんとの二人きりのデートにはならなかったけれど、
大いに盛り上がったメチャ楽しい、それでいて深~いディープな
話ができた会でした。
開始が6時。
終了したのが12時。
延々と6時間もの間、話し倒した。
一言で言って、中学時代たった3年間だけの短い時間だったのだけれど、
多感な時期にあったことは濃密で、色あせず、
本当に大切な時間だった ということ。
さて、気になっているであろう私が織井くんと話したかったこと。
それについては、危惧したとおり、そんなにじっくりと話はできず
それでもちょっとぐいっと踏み込んでみました。
内容の一部始終は書けないけれど、
私が話したかったこと。
各クラスに必ずと言っていいほど存在していた「学級委員長」=優秀でクラスのまとめ役だった人。
そんな人たちは私から見ると「遠い存在の人たち」だった。
その存在はとってもよく知っているんだけれど、
その実態(性格とか人格とか)は知らなかった。
(自分のクラス以外の人たちは)
それが同窓会を通じて、幹事長である私は「遠い存在の人たち」と
つながりを持つことが出来た。
ホント、幹事長という役割のおかげ。
ある時、あるきっかけで、織井くんの話が出た。
その内容は私が知っていた彼とかけ離れたものだった。
それがどうなのか知りたくなった。
それを確かめたかった。
だけれど、昨夜 それは彼には聞けなかった。
大勢いたから というのもあったけれど、
そんなことは確かめる必要はなくなったから。
昨夜は6組の人たちが集まった。
中学時代や高校時代の思い出話で盛り上がった。
それはメチャ楽しい想い出ばかりで、
ああ、皆 いい人たちばかり と、私は思った。
中学時代の織井くんが見えたような気がした。
そして、中村くんの中学時代も見えたような気がした。
もちろん小池くん、牧田くん、小川くん、唐澤くんの中学時代も。
楽しいこと、苦しいこと、嫌だったこと、
その全てを一緒に過ごしてきた仲間達。
話の中で、こんなことを言っていた人がいた。
「年寄りになって、ボケて記憶が曖昧になってくると
小さい頃のことは鮮明になってそのことはよく覚えていて蘇ってくるんだよ。」
私達も70歳、80歳になってボケ始めたら
小・中学時代のことだけはよく覚えていて話すのかな。
そんな時、一緒に話せる同窓生がそばにいてくれたら楽しいだろうね。
総勢7名。
左から 小川くん、織井くん、中村くん、牧田くん、小池くん、唐澤くん
そして私。
(特別参加で田畑Nくんも)
全員6組の同級生。
牧田くんが召集してくれたのが唐澤くんと小川くん。
元々は、私が織井くんと話がしたかったから始まったこの会。
織井くんとの二人きりのデートにはならなかったけれど、
大いに盛り上がったメチャ楽しい、それでいて深~いディープな
話ができた会でした。
開始が6時。
終了したのが12時。
延々と6時間もの間、話し倒した。
一言で言って、中学時代たった3年間だけの短い時間だったのだけれど、
多感な時期にあったことは濃密で、色あせず、
本当に大切な時間だった ということ。
さて、気になっているであろう私が織井くんと話したかったこと。
それについては、危惧したとおり、そんなにじっくりと話はできず
それでもちょっとぐいっと踏み込んでみました。
内容の一部始終は書けないけれど、
私が話したかったこと。
各クラスに必ずと言っていいほど存在していた「学級委員長」=優秀でクラスのまとめ役だった人。
そんな人たちは私から見ると「遠い存在の人たち」だった。
その存在はとってもよく知っているんだけれど、
その実態(性格とか人格とか)は知らなかった。
(自分のクラス以外の人たちは)
それが同窓会を通じて、幹事長である私は「遠い存在の人たち」と
つながりを持つことが出来た。
ホント、幹事長という役割のおかげ。
ある時、あるきっかけで、織井くんの話が出た。
その内容は私が知っていた彼とかけ離れたものだった。
それがどうなのか知りたくなった。
それを確かめたかった。
だけれど、昨夜 それは彼には聞けなかった。
大勢いたから というのもあったけれど、
そんなことは確かめる必要はなくなったから。
昨夜は6組の人たちが集まった。
中学時代や高校時代の思い出話で盛り上がった。
それはメチャ楽しい想い出ばかりで、
ああ、皆 いい人たちばかり と、私は思った。
中学時代の織井くんが見えたような気がした。
そして、中村くんの中学時代も見えたような気がした。
もちろん小池くん、牧田くん、小川くん、唐澤くんの中学時代も。
楽しいこと、苦しいこと、嫌だったこと、
その全てを一緒に過ごしてきた仲間達。
話の中で、こんなことを言っていた人がいた。
「年寄りになって、ボケて記憶が曖昧になってくると
小さい頃のことは鮮明になってそのことはよく覚えていて蘇ってくるんだよ。」
私達も70歳、80歳になってボケ始めたら
小・中学時代のことだけはよく覚えていて話すのかな。
そんな時、一緒に話せる同窓生がそばにいてくれたら楽しいだろうね。
決戦は今夜
12月22日。
今日は伊那へ出掛けてゆく。
織井くん、小池くん、中村くんとの飲み会の日。
久しぶりの伊那である。
実は同窓会幹事打ち上げ以来4ヶ月ぶり。
どんな会になるのか、自分自身もドキドキ・・・・・。
さあ、決戦は今夜!
マーチンは、しみずやの階下で聞いてよかな、と言ってたけど?
また報告は明日。