2018年04月09日
小学校時代の話
中学校の同窓会ブログなんだけれど、時々小学校の話も紛れる。
伊那中学校は、伊那小学校と伊那西小学校の生徒が通った。
伊那小学校は『友がき2000おこたらず』と校歌にあるように、
2000人も生徒数がいたマンモス小学校だったから、
伊那中学校もその人たちの持ち上がりで、伊那小卒業生が大半を占めていた。
だから、伊那小の話も同窓会メンバーでよく語られる。
(その点はいつも西小卒業生の皆さんには申し訳ないと思ってます)
昨日、私の地域の皆さんとの飲み会での会話で、
学校時代の話になった。
私以外の皆さんは私より年上。
でも、だいたい同じような想い出。
まずは冬のだるまストーブの話。
石炭入れというバケツがあり、石炭場に行き、スコップでバケツに石炭を入れ、
教室まで運んだのだが、年代により石炭fではなくコークスだった という話もあり、
(コークスの方が新しい?)
私たちの頃は石炭だったなあ・・・・・・・・。
火を点ける時は、「たきつけ当番」というのがあり、
近所の林から薪を拾い、中に新聞や広告やおが屑を詰め、
持って行き、火を点けた。
煙突にススが貯まり、先生が火掻き棒で煙突を叩き、
詰まったススを落とすんだけれど、それでも詰まり、
教室中が煙だらけになって、授業は中止なんてことも。
下に正方形の敷台があり、ストーブの上には蒸発桶に水が入れられ、
ストーブの近くには水がいっぱい入ったバケツが置かれていた。
ストーブの近くの人は、顔が焼けるようになり、
一番遠い窓際の人たちは、窓の隙間から雪が降ってきて
凍えるような寒さの中、授業を受けていた。
(木枠のガラス窓だったからね)
それと、学校には「校用技士」さん 「校士」さんと呼ばれる人がおり、
大きな釜でぐらぐらとお湯を沸かしてくれて、
掃除の時間になるとバケツを持って、そこへ行き
お湯をバケツの赤い線のところまで入れてもらい
水を足して雑巾掛けをした。
冬場は掃除時間の後のほうになると、お湯が冷め、ほとんど水。
雑巾掛けをすると、凍って、滑って先へ進めなかった。
学校のトイレ。
水洗トイレにお目にかかれたのは私が大学に行ってから。
小中高と全部 ぽっとんトイレだった・・・・・・・・・。
小学校は古い木造校舎。
トイレももちろん古~~~~い。
普通、トイレの便器というのは白い。
が、小学校のトイレは違った。
まるで骨董屋で扱っているような陶器製の模様の入ったものだった。

なんだか、お城の殿になった気分?
いや、このトイレ、本当に怖かった。
暗いし、ぽっとんの穴が筒状ではなく、1列全部貫いて開いていたのだ。
落ちたらどうなる?と想像しただけで恐ろしくなった・・・・・
(いや、想像したくない・・・・・!!)
このトイレももちろん素手で雑巾掛けをした。
ブラシなんてものも使わず、素手で拭いた。
それはそれは、トイレの神様に相当褒められたことだろう。
小学校の話、校舎の話、まだまだモリモリだくさんにある。
それは追々また話してゆこうと思う。

この画像は伊那小学校の鉄筋校舎。3,4年生が入っていた。
(この画像はこのブログからお借りしました。)
「東日本 近代建築万華鏡」
伊那中学校は、伊那小学校と伊那西小学校の生徒が通った。
伊那小学校は『友がき2000おこたらず』と校歌にあるように、
2000人も生徒数がいたマンモス小学校だったから、
伊那中学校もその人たちの持ち上がりで、伊那小卒業生が大半を占めていた。
だから、伊那小の話も同窓会メンバーでよく語られる。
(その点はいつも西小卒業生の皆さんには申し訳ないと思ってます)
昨日、私の地域の皆さんとの飲み会での会話で、
学校時代の話になった。
私以外の皆さんは私より年上。
でも、だいたい同じような想い出。
まずは冬のだるまストーブの話。
石炭入れというバケツがあり、石炭場に行き、スコップでバケツに石炭を入れ、
教室まで運んだのだが、年代により石炭fではなくコークスだった という話もあり、
(コークスの方が新しい?)
私たちの頃は石炭だったなあ・・・・・・・・。
火を点ける時は、「たきつけ当番」というのがあり、
近所の林から薪を拾い、中に新聞や広告やおが屑を詰め、
持って行き、火を点けた。
煙突にススが貯まり、先生が火掻き棒で煙突を叩き、
詰まったススを落とすんだけれど、それでも詰まり、
教室中が煙だらけになって、授業は中止なんてことも。
下に正方形の敷台があり、ストーブの上には蒸発桶に水が入れられ、
ストーブの近くには水がいっぱい入ったバケツが置かれていた。
ストーブの近くの人は、顔が焼けるようになり、
一番遠い窓際の人たちは、窓の隙間から雪が降ってきて
凍えるような寒さの中、授業を受けていた。
(木枠のガラス窓だったからね)
それと、学校には「校用技士」さん 「校士」さんと呼ばれる人がおり、
大きな釜でぐらぐらとお湯を沸かしてくれて、
掃除の時間になるとバケツを持って、そこへ行き
お湯をバケツの赤い線のところまで入れてもらい
水を足して雑巾掛けをした。
冬場は掃除時間の後のほうになると、お湯が冷め、ほとんど水。
雑巾掛けをすると、凍って、滑って先へ進めなかった。
学校のトイレ。
水洗トイレにお目にかかれたのは私が大学に行ってから。
小中高と全部 ぽっとんトイレだった・・・・・・・・・。
小学校は古い木造校舎。
トイレももちろん古~~~~い。
普通、トイレの便器というのは白い。
が、小学校のトイレは違った。
まるで骨董屋で扱っているような陶器製の模様の入ったものだった。

なんだか、お城の殿になった気分?
いや、このトイレ、本当に怖かった。
暗いし、ぽっとんの穴が筒状ではなく、1列全部貫いて開いていたのだ。
落ちたらどうなる?と想像しただけで恐ろしくなった・・・・・
(いや、想像したくない・・・・・!!)
このトイレももちろん素手で雑巾掛けをした。
ブラシなんてものも使わず、素手で拭いた。
それはそれは、トイレの神様に相当褒められたことだろう。
小学校の話、校舎の話、まだまだモリモリだくさんにある。
それは追々また話してゆこうと思う。

この画像は伊那小学校の鉄筋校舎。3,4年生が入っていた。
(この画像はこのブログからお借りしました。)
「東日本 近代建築万華鏡」
Posted by みなと at 10:38│Comments(0)
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